1791年6月3日に立法院で刑法第3条が改訂され、死刑の方法は斬首のみになった。この直後にサンソンが法務大臣に斬首の難しさと問題点について意見書を提出した。これには、斬首は非常に難しく、全員を斬首することは難しいと記されていた。この意見書は法務大臣から国会に提出され、アントワーヌ・ルイ博士に斬首の研究を依頼した。
サンソン回想録によると、この時にサンソン、ルイ博士、ルイ16世の3人で非公式に検討会が開かれたという、この時にルイ16世が、刃を直角三角形の定規のような斜めの形にすることを提案した。
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1792年3月17日にルイ博士から国会に報告書が提出され、国会はこれを採択した。試作品が作成されることになり、サンソンが知り合いのチェンバロ製造業者であるトビアス・シュミット (Tobias Schmidt) に960リーヴルで発注した。当時の一般市民の平均年収が400リーヴル強だったといわれている。シュミット工房はこれ以降、フランス死刑執行人の元締めであるサンソンとの関係からギロチンの製造独占権を得て、フランスだけでなくドイツなどの周辺諸国にも輸出するギロチン独占製造メーカーとなる。ギロチンは楽器製造の副業として製造されていた。
同年4月17日にギロチンの実験がおこなわれた。ルイ博士は当初は半円月の刃を提案していたため2種類の刃が作成されたが、実際に死体を使用した実験がおこなわれた結果、斜めの刃が採用された。
1793年6月13日にギロチンを各県に1台ずつ配置することが政令で決定した、当時のフランスの行政区分に従い、83台のギロチンがトビアス・シュミットに一台812リーヴルで発注された。この時に熾烈なギロチン受注の利権争いが発生したが、サンソンとルイ博士の後ろ盾によりシュミットの独占権が守られた。その後も改良型ギロチンを売り込む業者や、ダンピング・政治活動によってギロチン利権を得ようとする業者は後を絶たなかったが、最終的にシュミット工房が最後まで独占権を守り続けた。
ギロチンは人間の背丈よりも高い台の上に設置され回りから良く見えるようになっていた。 1792年に助手を勤めていたシャルル=アンリ・サンソンの次男ガブリエルがこの台から転落死するという事故が起きた。 これ以降は回りに手すりが付くようになった。
1870年にアドルフ・クレミューが法務大臣就任後にギロチンを台座からはずし、地面に直接置くように命令し、新しいギロチンを作成させた。 この政令に新聞記者たちは一斉に抗議しパリ市民は怒り「我々は豚のように地面に這いつくばって死ぬことを拒否する」「ユダヤ人から人間としての誇りを取り戻せ」と憤慨の声が挙がった。
1871年4月に地面に置かれた新しいギロチンを使用した公開処刑がヴォルテール広場ではじめて行おうとしたがパリ・コミューンはこの処刑に怒り狂い、ギロチンを焼き討ちされ破壊された。この時、死刑執行人だったニコラ・ロシュはムッシュ・ド・パリに就任してからの初仕事であった。