2009年06月20日

粉末のように多数の単結晶の集合

粉末のように多数の単結晶の集合と考えられる試料のX線回折を測定することを粉末X線回折という。通常、未知試料を同定するために行われる。粉末X線回折で得られる回折X線強度はさまざまな方向をランダムに向いた単結晶からの回折の総和となる。既知の物質については入射角と回折強度がデータベース化されており、これと照合することで未知試料の同定を行うことができる。

また、データベースに無い試料についてもリートフェルト法(Rietveld法、リートベルト法)により構造解析することで構造を決定できる場合がある。

X線回折像の線幅は結晶の大きさを反映しており、シェラーの式より結晶子の大きさが算出できる。

マクロな大きさの試料に対してX線を当てる場合、X線はその表面の数百µmまでしか侵入しない。そのためX線回折法は物質表面に限定して結晶構造を調べる手法となる。

X線の波長をλ、2つのX線の光路の距離差をdとすると、ブラッグの条件によりnλ=dを満たすときに、X線の強度が最大になる。この条件を用いて、出力されたピークの位置から試料の格子定数を求め、表面の原子構造を導く。
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試料の膜面垂直方向の格子定数を測定する場合を考える。格子を入射したX線と試料表面との角度がω=θχ、入射方向と反射方向との角度を2θχのとき、膜面垂直方向の格子面間隔をDとすれば、D=2dsinθχとなる。この場合はω=θχであるが、実際には散乱によりω=θχ以外の条件の角度にも散乱X線が出ており、ωとθχの条件を変えることで膜面面内方向の格子定数も測定することができる。このようにして測定した2次元の強度の分布を逆格子マップという。

2009年06月02日

死刑執行人であるシャルル=アンリ・サンソンの回想録

1791年6月3日に立法院で刑法第3条が改訂され、死刑の方法は斬首のみになった。この直後にサンソンが法務大臣に斬首の難しさと問題点について意見書を提出した。これには、斬首は非常に難しく、全員を斬首することは難しいと記されていた。この意見書は法務大臣から国会に提出され、アントワーヌ・ルイ博士に斬首の研究を依頼した。

サンソン回想録によると、この時にサンソン、ルイ博士、ルイ16世の3人で非公式に検討会が開かれたという、この時にルイ16世が、刃を直角三角形の定規のような斜めの形にすることを提案した。
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1792年3月17日にルイ博士から国会に報告書が提出され、国会はこれを採択した。試作品が作成されることになり、サンソンが知り合いのチェンバロ製造業者であるトビアス・シュミット (Tobias Schmidt) に960リーヴルで発注した。当時の一般市民の平均年収が400リーヴル強だったといわれている。シュミット工房はこれ以降、フランス死刑執行人の元締めであるサンソンとの関係からギロチンの製造独占権を得て、フランスだけでなくドイツなどの周辺諸国にも輸出するギロチン独占製造メーカーとなる。ギロチンは楽器製造の副業として製造されていた。

同年4月17日にギロチンの実験がおこなわれた。ルイ博士は当初は半円月の刃を提案していたため2種類の刃が作成されたが、実際に死体を使用した実験がおこなわれた結果、斜めの刃が採用された。

1793年6月13日にギロチンを各県に1台ずつ配置することが政令で決定した、当時のフランスの行政区分に従い、83台のギロチンがトビアス・シュミットに一台812リーヴルで発注された。この時に熾烈なギロチン受注の利権争いが発生したが、サンソンとルイ博士の後ろ盾によりシュミットの独占権が守られた。その後も改良型ギロチンを売り込む業者や、ダンピング・政治活動によってギロチン利権を得ようとする業者は後を絶たなかったが、最終的にシュミット工房が最後まで独占権を守り続けた。

ギロチンは人間の背丈よりも高い台の上に設置され回りから良く見えるようになっていた。 1792年に助手を勤めていたシャルル=アンリ・サンソンの次男ガブリエルがこの台から転落死するという事故が起きた。 これ以降は回りに手すりが付くようになった。

1870年にアドルフ・クレミューが法務大臣就任後にギロチンを台座からはずし、地面に直接置くように命令し、新しいギロチンを作成させた。 この政令に新聞記者たちは一斉に抗議しパリ市民は怒り「我々は豚のように地面に這いつくばって死ぬことを拒否する」「ユダヤ人から人間としての誇りを取り戻せ」と憤慨の声が挙がった。

1871年4月に地面に置かれた新しいギロチンを使用した公開処刑がヴォルテール広場ではじめて行おうとしたがパリ・コミューンはこの処刑に怒り狂い、ギロチンを焼き討ちされ破壊された。この時、死刑執行人だったニコラ・ロシュはムッシュ・ド・パリに就任してからの初仕事であった。

ギロチン

ギロチンとは、斬首刑(死刑の一手法)の執行具。断頭台、断首台ともいう。2本の柱の間に吊るした刃を落とし、柱の間に寝かせた人の首を切る装置。

ギロチン(仏: Guillotine)は、1792年4月25日にフランスで正式に処刑道具として認められたものである。刃が斜めになっており刃についているおもりによってすばやく切り落とすことができ、従来の処刑器よりも苦痛を与えないとされる。
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ギロチンの全高は約5メートルほどである。首を挟む場所は地面から37センチメートルほどの高さにあり、ギロチンは4メートルの高さから40キログラムの刃が自由落下することによって首を切断する。

当時はフランス革命後の恐怖政治により、毎日何百人もが処刑されていた。平民は絞首刑が適用されることになっており、斬首刑は貴族階級に対してのみ執行された。当時の斬首には斧や刀が用いられていたが、死刑執行人が未熟練であったりした場合、囚人の首に何度も斬りつけるなど、
残酷な光景が展開され犠牲者に多大な苦痛を与えることも多かった。 内科医で国民議会議員だったジョゼフ・ギヨタンはこれを見かね、受刑者に無駄な苦痛を与えず、しかも身分に関係せず同じ方法が適用できる、「単なる機械装置の作用」によって「人道的」な処刑を行うよう議会で提案した。ギヨタンの提案は初め嘲笑を以て迎えられたが、ギヨタンの再度の提案と説得によりその案が採択された。

外科医のアントワーヌ・ルイが設計の依頼を受けて、各地の断頭台を研究し、刃を斜めにするなどの改良を加えた。

なお、首と同時に両手首も切り落とす形状のものも存在する。当初は、設計者のルイの名前をとって「ルイゼット(Louisette)」や「ルイゾン(Louison)」と呼ばれていたが、この装置の人間性と平等性を大いに喧伝したギヨタンの方が有名になり、ギヨタンから名前をとった「ギヨティーヌ(Guillotine)」という呼び名が定着した。ギロチンはその英語読みであるギロティーンが訛ったものである。正式名称は「Bois de Justice(正義の柱)」という。

ルイ16世やマリー・アントワネットはこれによって処刑された。また、恐怖政治を主導し、受刑者をギロチン台に送り続けたマクシミリアン・ロベスピエールも最後はギロチンで斬首された。このように、フランス革命期すべての党派を次々と呑み込み処刑する状況は、当時の人々によって「ギロチンの嘔吐」と呼ばれた。

ルイ16世の首をはねたギロチンの刃は、死刑執行人のシャルル=アンリ・サンソンが大切に保管していたと回想録に書かれているが、後にサンソン家最後の死刑執行人であるアンリ=クレマン・サンソンが、浪費による借金のために牢獄に入れられ、3800フランの借金返済のために質入れしてしまった。死刑執行命令を受けたサンソンはギロチンを質入してしまったことを法務大臣に話して3800フランの現金を支給され、ギロチンを買い戻して死刑を執行した。 しかし、アンリ=クレマンはこの直後に責任を取らされて死刑執行人を罷免された。この当時のフランスの制度ではギロチンは死刑執行人の私有財産であり公共財産ではない、そのためサンソンは横領罪に問われることは無かった。 一度、質から出されたギロチンは再度売られたという。サンソンが売り払ったギロチンは交流のあったイギリス人の手に渡り、現在はイギリスのマダム・タッソー館にマリーアントワネットやサンソンの蝋人形と一緒に展示され、説明書きに由来が記されている。

2009年04月29日

高天原

高天原(たかあまはら、たかのあまはら、たかまのはら、たかまがはら)は『古事記』の日本神話と祝詞に於ける天津神の住まう場所である。

地上の人間が住む世界である葦原中国や、地中にあるとされる根の国・黄泉に対し、天上界にあったとされるが、古くから神話を現実的に解釈しようという要求から、大和、九州、北陸、富士山等実在の場所であったとの説もとなえられた。

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原文は漢文であるため、どの訓が正しいかは或る程度推測にとどまる。ただし、古事記冒頭には「訓高下天云阿麻下效此」とあり、天はアマと読むように指定がある。通常は、「たかまがはら」という格助詞【が】を用いた読み方が一般的であるが、この読み方が広まったのは歴史的には新しいとされている。

古事記においては、その冒頭に「天地(あめつち)のはじめ」に神々の生まれ出る場所としてその名が登場する。次々に神々が生まれ、国生みの二柱の神が矛を下ろして島を作るくだりがあるから、海の上の雲の中に存在したことが想定されていたのであろう。天照大神が生まれたときに、高天原を治めるよう命じられた。須佐男命にまつわる部分では、高天原には多くの神々(天津神)が住み、機織の場などもあったことが記述されており、人間世界に近い生活があったとの印象がある。葦原中国が天津神によって平定され、天照大神の孫のニニギが天降り(天孫降臨)、以降、天孫の子孫である天皇が葦原中国を治めることになったとしている。

2009年04月14日

袁 紹(えん しょう)

袁 紹(えん しょう、? - 建安7年(202年)5月)は中国の後漢末期の武将・政治家。三国志に登場する群雄の一人。字を本初(ほんしょ)。

豫州汝南郡汝陽県の出身。大将軍の何進と協力して激しく宦官と対立し、董卓の乱の際には首都の洛陽より奔って河内にて兵を挙げた。後に河北四州を支配するまでに勢力を拡大したが、官渡の戦いにおいて曹操に敗れた後、病死した。

出自・血縁 [編集]
後漢時代に四代に渡って三公を輩出した名門袁家の出身であり、その存在自体が周囲に影響力を持っていた。

袁紹は袁成の子であり、袁術は袁成の弟(袁逢)の子であるとされている。ただし、『魏書』(王沈撰)や『後漢書』(袁山松撰)によれば、袁紹は袁術の異母兄弟であるという。また、王沈らの説に基づけば、袁紹は袁逢の庶子で、伯父の袁成の養子となって後を継いだという。

袁逢・袁隗の次の世代の袁氏宗族の長は袁紹と袁術のいずれか(あるいは袁基)と目されており、都にいた地方の豪族子弟はこぞって両家に赴いた。しかし袁紹は袁術よりも名望高く、例えば何顒や許攸らは袁術の門に赴かなかった。袁術はこれが面白くなかったようで、袁紹を嫌っていた。

叔父に袁隗、異母兄に袁基(袁術と同母兄弟)、息子に袁譚・袁煕・袁尚らがいる。また袁買という人物には「袁紹の庶子」「袁尚の兄の子」という二説がある。

生涯 [編集]

名門の実力者 [編集]
霊帝時代の大将軍・何進との縁もあり、若い頃から侍御史になり、中軍校尉、やがて司隷校尉まで登る。霊帝の死後、何進にすみやかに宦官を排除するよう進言したが、受け入れなかった何進は逆に宦官によって殺されてしまう。袁紹はこれを機に兵を動かし、宮中の宦官らを殺害、死者は誤って殺された者も含め、2000人に及んだ。

董卓は少帝を廃して陳留王(献帝)を立てようとした時、太傅の袁隗を叔父に持つ袁紹に相談を持ちかけた。袁紹は表向き賛成したが、そのまま冀州に逃亡した。董卓はこれに激怒したが、その後、名門である袁氏の勢力を恐れて、袁紹を勃海郡の太守に任命している。190年、橋瑁の呼びかけ(『演義』では曹操)で諸侯が董卓征討の兵を起こし、連合軍が結成されたときは、きっての実力者だった袁紹が盟主に推挙された。この時、盟主に袁紹を推挙したのは、曹操だったといわれている。

連合軍は董卓軍と攻防するも、諸侯はそれぞれ自らの理を重視して行動しており、果敢に攻めいるものは少なかった。袁紹は諸侯を完璧にとりまとめることはできず、諸侯は足の引き合いを始め、連合軍は攻めあぐねる。次第に袁紹は孫堅、曹操と作戦面で対立するなど連合に不協和音が目立ちはじめ、劉岱と橋瑁が反目したり、兵糧が尽きたりなどして、最終的に董卓の長安遷都という形で連合は瓦解した。

勢力拡張 [編集]
董卓征討軍が解散したのち、袁紹は同じく名門袁家の出で、勢力を誇る袁術と対立を深める。諸侯はそれぞれが袁紹と袁術と盟約を結んだ。このとき、袁紹と同盟したのが曹操・劉表・韓馥など、袁術と同盟したのが孫堅・公孫瓚・陶謙などである。袁紹は董卓により擁立された献帝に対抗すべく、大司馬劉虞の擁立を計画したが、袁術や公孫瓚はこれに強く反した。191年に謀略をもってして韓馥より冀州牧の地位を譲り受け牧となる。192年、兗州において曹操と共に袁術を打ち破り、袁術を寿春へ退かせた。197年に大将軍に任じられた。

袁術と手を結んだ公孫瓚は、かねてより異民族への方針を巡って関係の悪化していた劉虞を殺害、袁紹と公孫瓚の対立はさらに激化する。袁紹は公孫瓚と交戦し、公孫瓚の従弟の公孫越を殺害。これに激怒した公孫瓚に対して袁紹は講和を図ったが、結果的には総力戦に発展。192年、界橋の戦いにおいて袁紹は辛くも勝利を収めるが、その後の追撃で公孫瓚の籠る城を落とせず、退却したところを逆に追撃されて大敗を喫する。公孫瓚は南進して諸郡を攻めるも、袁紹は数万の軍を出動させる構えを見せ、2年余りの長期戦と化す。結果的に袁紹は自領を守りきった。

その後、鮑丘の戦いで配下や劉虞の旧臣が公孫瓚を破ると、公孫瓚は10年は籠ることのできると言われる難攻不落の易京城に籠城。袁紹は城外の張燕・公孫続と城内との連携作戦を察知し、これを破る。199年、地下道を掘り進めて易京を陥落させて幽州を手中に収め、公孫瓚を滅亡に追い込む。更には息子達に軍を預けて青州や并州にも勢力を拡大し、肥沃な河北四州を治めることに成功。同時代屈指の一大勢力を築きあげた。

曹操との決戦 [編集]
その後、河南一帯を統一した曹操と対立を深める。中原の二大勢力となった両者の対決は必至であった。200年には、持久戦を主張する沮授や田豊の言を退け官渡の戦いと呼ばれる一大決戦に臨んだ(田豊は元々、曹操が河南攻略のために転戦していた留守を狙い、電撃戦で洛陽を奪取すべしという策を進言していたが、袁紹は息子の病気を理由にこれを退けていた。その間に曹操は河南を統一してしまったため、やむを得ず田豊は持久戦主張に策を切り替えたがこちらも袁紹は受け入れず田豊を投獄し、結果的に時勢を読み切れずに機を逃がす)。

緒戦こそ白馬・延津で顔良・文醜らが討ち取られるなど出鼻を挫かれたものの、兵力・物資で勝る河北軍はじりじりと陣営を圧迫し、一時は撤退を考えさせるほどの状況に曹操を追い込む。しかし、陣中の不和から最古参の重鎮許攸が曹操軍に寝返り兵糧庫の所在を暴露。それを焼き打ちされたことが大きな打撃となり、また高覧・張郃らの降伏などもあって結果的には冀州に敗走した。

この官渡の戦いで曹操と袁紹の勢力差が逆転したといわれることが多いが、敗戦後に冀州の各地で袁紹に対する反乱が勃発したとき、袁紹はこれらを全て平定している。また、曹操も袁紹存命中は侵攻しなかったため、敗戦後もその国力・勢力は曹操を上回っていたと思われる。

しかし、曹操との戦いで敗れた苦痛から病に倒れ、建安7年(202年)5月に死去した。

死後 [編集]
袁紹は、生前に明確な後継者を選んでいなかった。このことが彼の死後に災いして、袁氏勢力は長男の袁譚派(郭図、辛評ら)と末子の袁尚派(審配、逢紀ら)に分裂する。袁譚、袁尚は相続を巡り骨肉の争いを繰り広げ、その間隙を曹操に付け込まれ、各個撃破される形で袁氏は滅亡した。

評価 [編集]
『三国志』の編者である陳寿は「袁紹は威容は堂々としていて名は世に知れ渡り、河朔に割拠した。しかし外面は寛大に見えるが、内面は猜疑心が強く、はかりごとを好みながら決断力に欠けていた。良い人物がいてもこれを用いることが出来ず、良い言葉を聴いてもこれを実行に移すことが出来なかった。長子を廃して庶子を後継に立て、死後に国を失ったことも不幸な出来事とは言えない」と評している。なお、陳寿は袁紹と劉表を似た者と考えていたらしく、上の評をこの2人に対して送っている。曹操や孫権の後継ぎ争いでも、悪例として袁紹と劉表はしばしば諫言の引き合いに出された。

『三国志』の記述は魏、すなわち曹操の一族を中心にした立場を取っており、曹操の仇敵に対しては実質以上に貶されている可能性もあるが、概ね決断力の無さや器量の不足を指摘されている。

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2009年03月30日

ら入れ言葉

ら抜き言葉を避けようとするあまり、本来不要な「ら」を付け足してしまうもの。たとえば五段動詞「しゃべる」に対応する可能表現を「しゃべれる」とするのは五段動詞「書く」に対する可能表現を「書ける」とするのと同じくら抜き言葉ではないが、末尾の「れる」がら抜き言葉の語形と共通していることからこれをら抜き言葉と誤認し余分な「ら」を付け足して「しゃべられる」としてしまう場合がそれである。ただし、単に必要な「ら」を入れているものを含めて、ら抜きでない言い方全般を ら入れ言葉と称することもある。

「書くことができる」の意味で「書かれる」という表現も古めかしくはあっても存在するので「しゃべられる」自体は必ずしも誤りではない。普段「書くことができる」を「書ける」でなく「書かれる」と表現する者ならば、「しゃべることができる」を「しゃべれる」でなく「しゃべられる」と表現するのは単に古めかしい言い方であって、ここでいう ら入れ言葉ではない。しかし、「書くことができる」を「書ける」と表現する者が「しゃべれる」だけを殊更に嫌って「しゃべられる」と言い換えたとしたら、ら入れ言葉である。

五段活用の動詞は「ら抜き」に当たることはないと考えればこうした過剰修正は起こらない。五段活用かどうかの判別法としては未然形や命令形を作ってみてその語形を見る方法が指導されることがあるが、ある動詞に対する正しい可能表現をら抜き言葉と錯覚してしまう者は、逆に誤った未然形や命令形を作り出してしまっても正しく作れたように錯覚する恐れもあるので、こうした判別法に頼ることは危険である。辞書を引いて活用種別を確認するのがもっとも確実な方法である。

い抜き言葉 [編集]
「〜している(してゐる)」のような言葉を「〜してる」と表現するのが「い(ゐ)抜き言葉」である。

実際に話される言葉としては「い」の発音されない傾向にあり、これを反映して文学作品では明治時代から次のような例が見られた。

これは三四郎も知ってる事である。(夏目漱石『三四郎』)
何をすねてるんだってことよ。(芥川龍之介『老年』)
NHKニュースではアナウンサーは「い」を発音しているが、ニュース字幕にはい抜き言葉が散見されこれに違和感を覚える者もいる。ただしこれは画面内に文字を収めるための省略表記である場合もある。

さ入れ言葉 [編集]
使役の助動詞は、下記のように使う者が多いことから、五段活用動詞とサ行変格活用動詞の後では「せる」が使われ、上一段活用、下一段活用、カ行変格活用の動詞の後では「させる」が使われるという規則が見出されてきた。

やる(五段) → やら+せる
叩く(五段) → 叩か+せる
降りる(上一段) → 降り+させる
受ける(下一段) → 受け+させる
しかし、一部では、下記のように上一段活用、下一段活用、カ行変格活用の動詞の後でも「させる」を使うことがある。これがいわゆる「さ入れ言葉」である。

やる(五段) → やら+させる
叩く(五段) → 叩か+させる
敬語(特に謙譲語)に不慣れな人が、過剰に敬意表現を並べてしまうために使われるのではないか、ということから若い世代に多いと言われる。

「ら抜き」は以前から乱れの代表格として指摘されているものの、こちらは2000年代に入ってから取り沙汰されるようになった。特にバラエティ番組「SMAP×SMAP」のコーナー「ビストロSMAP」で中居正広が「(ゲストが注文した料理を)作らさせていただきます」と言っているのはおかしいのではないかと新聞に投書が掲載されたことがある。

1967年の映画『クレージーだよ天下無敵』にも「伺わさせていただきます」との台詞がある。脚本の田波靖男は1933年の生まれで、すでに故人である。

例:

×やらさせていただきます。(正:やらせていただきます、または「する」を使って させていただきます)
×行かさせていただきます。(正:行かせていただきます)
×叩かさせられる。(正:叩かせられる)
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れ足す言葉 [編集]
ら抜き言葉とは逆に、可能動詞に「れ」を足す言葉がある。1971年12月放送のテレビアニメ『ルパン三世』第10話にも「隠せれる」という用例がある。

例:

×行けれる(正:行ける)
また、ら抜き言葉「見れる」「来れる」に「れ」を足して「見れれる」「来れれる」としてしまう用例もある。

音便 [編集]
い(良・善・好)くない
「いい」は、「よい」が変化した話し言葉である。終止・連体形でのみこの形を使い、それ以外では元の「よい」を使って「よくない」「よかった」などとするのが一般的だが、若者の間で1980年代中盤からの一時期「いくない」のように規則的に変化させた形が流行した。

2009年03月16日

平氏政権

平氏政権(へいしせいけん)は、平安時代末期(1160年代 - 1185年)に登場した平清盛を中心とする伊勢平氏による政権。清盛の館が京都六波羅にあったことから、六波羅政権ともいう。

以前、学界では平氏政権を貴族政権的な性格が強いとする見解が主流であったが、1970年代・1980年代頃からは、平氏政権が地頭や国守護人を設置した事実に着目し、最初期の武家政権とする見解が非常に有力となっている。

平氏政権の成立時期については、仁安2年(1167年)5月宣旨を画期とする見解と、治承三年の政変(1179年)の時点とする見解とが出されている。前者の宣旨は平重盛へ東山・東海・山陽・南海諸道の治安警察権を委ねる内容であり、源頼朝による諸国の治安維持権を承認した建久2年(1191年)3月新制につながるものと評価されており、武家政権の性格を持つ平氏政権がこの宣旨によって成立したとする見方である。一方、後者は、治承三年の政変の際に平氏勢力が従来の国家機構の支配権を掌握したことを重視している。一般的に平氏政権は12世紀中期から段階的に成立したのであり、仁安2年5月宣旨を大きな画期としつつ、治承三年の政変により平氏政権の成立が完了したものと考えられている。


歴史 [編集]

前史 [編集]
平氏政権に至る基盤形成は、白河院政期に遡る。平正盛は、桓武平氏貞盛流の伊勢平氏に出自し、その父の正衡までは軍事貴族の中でもそれほど有力な一族ではなかったが、永長2年(1097年)伊賀国の所領を六条院(白河上皇の娘・郁芳門院の御堂)に寄進して鞆田荘を成立させた。正盛は預所となり、周辺の東大寺領も取り込んで立荘するなど、白河の政治権力を後ろ盾に東大寺や国衙の支配を除去して実質的な土地所有に成功した。立荘の背景には、東大寺や国衙の支配と収奪を逃れようとする田堵農民層と、自らの所領の拡大・安定を狙った正盛の間に利害の一致があったと考えられる。正盛は自らに服従した田堵を郎等・家人にして、武士団を形成していった。

一方、白河上皇も権力維持のために、正盛の武力を必要としていた。当時の白河は院領が少なく、直属武力もほとんどなかった。しかも、白河に対抗する勢力として、異母弟・輔仁親王や摂関家を始めとする伝統的貴族が存在し、田堵農民層を神人・寄人に組織して巨大化した寺社勢力の圧力も熾烈だった。これらの諸勢力を抑えて国政の主導権を確保するため、白河は自らの手足である院近臣や親衛隊ともいえる北面武士を、受領・太政官・兵衛府・衛門府などの公的機関に強引に送り込んでいった。

このような情勢の中で北面武士になった正盛は、出雲で源義親の濫行が起こると、嘉承2年(1107年)12月19日追討使に抜擢される。翌年正月には早くも義親の首を携えて華々しく凱旋し、白河は正盛を但馬守に任じた(ただし、その後も義親生存説が根強く残る)。これを契機に北面武士の規模は急激に膨張し、元永元年(1118年)延暦寺の強訴を防ぐため賀茂河原に派遣された部隊だけで「千余人」に達したという(『中右記』)。正盛は主に、北面武士・検非違使・追討使といった国家権力の爪牙として活躍するが、各地の受領も歴任した。当時、国衙は在地領主・田堵農民層との闘争でその支配体制が危機に瀕していたため、武力による補強が求められていた。

正盛の子・忠盛も父の路線を継承して、院政の武力的主柱となった。その役割は鳥羽院政期となっても変化はなく、牛馬の管理・御幸の警護を行う院の武力組織の中核ともいえる院御厩(いんのみうまや)の預(あずかり)となった。鳥羽院政期になると荘園整理が全く実施されなくなったため、各地で荘園は爆発的に増加した。忠盛も受領として荘園の設立に関与し、院領荘園の管理も任されるようになった。肥前国神崎荘の預所となった忠盛は、大宰府の関与を排除して日宋貿易にも直接介入するようになった。

この頃、日宋貿易につながる海上交通ルート・瀬戸内海は、海賊の跋扈が大きな問題となっていた。これらの海賊は、有力な在地領主、神人・供御人の特権を得た沿岸住民などが経済活動の合間に略奪しているケースが多く、国衙の力だけでは追討が困難だった。鎮圧するには強力な武士の棟梁を追討使にする他に手はなく、忠盛に白羽の矢が立てられる。忠盛は海賊追討に成功するが、降伏した海賊(在地領主)を自らの家人に組織化した。忠盛は他の院近臣受領と同じく院への経済奉仕に励む一方で、荘園の預所・受領・追討使の地位を利用して在地勢力を自らの私兵に編成するなど、武士団の増強も怠らなかった。これは院の権威のみを頼みとする通常の院近臣とは、決定的に異なる点だった。

仁平3年(1153年)忠盛が没したとき、藤原頼長は「数国の吏を経、富巨万を累ね、奴僕国に満ち、武威人にすぐ」(『宇槐記抄』)と評したが、これは平氏の実力の大きさを物語っている。忠盛の築いた経済的・軍事的基盤は、子の清盛に継承された。


形成期 [編集]
保元元年(1156年)、治天の君及び摂関の座をめぐる対立が激化し、保元の乱が発生した。この乱で清盛は後白河天皇に味方し、その武功により播磨守となった。その後、政治を主導する藤原信西と後白河院政派(藤原信頼・藤原成親・源師仲)・二条親政派(藤原経宗・藤原惟方)の対立が激しくなり、3年後の平治元年(1159年)に平治の乱が起こった。信頼は源義朝を配下につけて、信西を自殺へ追い込むことに成功したが、二条親政派の裏切りと清盛の反撃に遭い、あえなく敗北し処刑された。

平治の乱後の永暦元年(1160年)、清盛は正三位参議に補任され、武士として初めて公卿(政治決定に参与する議政官)となった。保元・平治両乱は政治抗争が武力で解決されることを示した歴史的な事件だった。乱後、後白河上皇と二条天皇の対立はしばらくの小康状態を経て再燃するが、武士で最大の実力者となっていた清盛は二条の乳父となり、室の時子も乳母となったことで、天皇の後見役の地位を得て検非違使別当・中納言となった。その一方で後白河院庁別当として後白河への奉仕も怠らず、両派の争いに巻き込まれないように細心の注意を払った。時子の妹・平滋子(建春門院)が後白河の皇子を出産すると、一門の時忠・教盛は立太子を画策して二条の逆鱗に触れて解官、後白河院政は停止された。ここに至り、清盛は院政派の反発を抑えるため皇居の警護体制を整えるなど、二条支持の姿勢を明確にした。さらに関白藤原基実に娘の盛子を嫁入れし、摂関家にも接近する姿勢をとった。

永万元年(1165年)に二条天皇が死去した。前後して前関白藤原忠通(1164年死去)、太政大臣藤原伊通(1165年死去)、摂政藤原基実(1166年死去)など、政治の中心人物たちが相次いでこの世を去った。清盛は院近臣の昇進の限界とされていた大納言となり女婿の基実を補佐していたが、基実が急死して後白河院政が復活すると「勲労久しく積もりて、社稷を安く全せり。その功、古を振るにも比類少なければ、酬賞無くてやは有るべき」という理由で仁安元年(1166年)に内大臣へ昇進した。大臣に昇進できたのは摂関家(中御門流・花山院流も含む)・村上源氏・閑院流に限られていて、清盛の昇進は未曾有のものだった。なお翌年には太政大臣となるが、太政大臣はすでに実権のない名誉職となっていて、清盛は僅か3ヵ月で辞任している。
シンジケ ビシー リング 毬つき パイラ ハート ピーフォ プロフ たらのき ドロー サバラン かっぽう レッドベ カード シップ バーディ デシジョン たらのき キャスク レザー ギブアン デコーダ トップ パパイヤ バイオレ オロジー テルミン テンレポ カクタス モスク もくず ミシンポ ワンコイン フォルシェ ブルガリア トロント ルーメン タウン オーソス シライド おにしま レーサコテ ファイン パワー バカロ ショーツ メニュー ヤングリ マイカー ふとう

この時期の清盛の出世について「当時の貴族社会の中では清盛を白河上皇の落胤とする説が信じられており、このことが清盛の異例の昇進に強く影響した」という説もある。一方、橋本治はこれについて高倉天皇が立太子式を挙げた場所が藤原家の中でも最も格の高い邸宅であった東三条殿であったことに注目し、しかもこの東三条殿の当時の所有者が清盛の娘の盛子であった(藤原基実はこの立太子式の3ヶ月前に死去)ことが強く影響したという説を立てている。橋本によれば、清盛はこの状況を奇貨として滋子の生んだ皇子の養母を「先の摂政の未亡人」である盛子に引き受けさせ、「東宮の養母の父親」である清盛が内大臣や太政大臣に出世する口実としたとされる

2009年02月26日

仮面ライダーBLACK RX

仮面ライダーBLACK = 南光太郎が暗黒結社ゴルゴムを滅ぼしてから半年が過ぎた。その戦いで心身共に傷ついた光太郎は、おじの佐原俊吉の元に身を寄せる。そして彼の航空会社でヘリコプターパイロットの職を得て平和な日々を過ごしていた。

ある日、彼は光を発する3本の不思議な杭を目撃。杭を設置する怪人の目撃情報を得て調査を行う途中、怪魔界から現れたクライシス帝国の前線基地であるクライス要塞に拉致される。

そこでクライシス軍司令官ジャーク将軍よりクライシス帝国の尖兵となり、地球の全人類を抹殺することを要求されるが、光太郎はこれを拒否する。ジャーク将軍は光太郎のBLACKへの変身機能を破壊した上で宇宙空間へと放逐する。

宇宙空間へ投げ出された光太郎は、命の源である「太陽の石」=キングストーンが太陽光線を浴びて進化し、仮面ライダーBLACK RXとして生まれ変わった。自らの体の変化に驚くRXの元にかつての相棒・バトルホッパーもアクロバッターとして生まれ変わって駆けつける。

かくして、太陽の子・仮面ライダーBLACK RXとクライシス帝国との戦いの火蓋は切って落とされた。
『仮面ライダーBLACK』の主人公が強化されて続投する、という、シリーズ中でも異例の作品。昭和天皇の崩御による報道特番で、休止明けとなる11話以降の放送日は元号が平成へと移っているが、後年の『仮面ライダークウガ』以降のいわゆる平成仮面ライダーシリーズには含まれていない。

番組継続という扱いにしたのか字数の都合か理由は定かでないが、新聞のラジオ・テレビ欄の番組名表記は『仮面ライダーブラック』のままで(『仮面ライダーBLACK』最終回でも終了マークはつかず)、提供終了後に表示されたタイトルロゴも、当日ネットの地域では『仮面ライダーBLACK』のもののままであった。なお週遅れ放送で提供終了後タイトルロゴがローカル出しだったテレビ高知では、そのロゴが『RX』に変更されていた。

前作『BLACK』も含め、本作品は当初異なる世界観とされていたが、シリーズ終盤の第41話「百目婆ァの恐怖」より1号からZXまでの10人の歴代仮面ライダーが再登場したことにより、公式に『仮面ライダー』から『仮面ライダーZX』までの過去のシリーズの続編に位置づけられることとなった。

特徴
仮面ライダーの原点である「怪奇性」や「孤独なヒーロー像」の復活を狙った前作との差別化を図るためか、スーパー戦隊シリーズやメタルヒーローシリーズといった東映制作の他シリーズを意識した数多くの新しい試みが取り入れられ、前作とは異なるアプローチによる新しいライダー像の追求が行われた。

その一環として、原則としてキック技が必殺技であった当時の仮面ライダーシリーズでは初めて、剣や銃などの武器による攻撃をメイン必殺技として採用した他、専用バイクだけではなく専用車が導入され、さらにはバイクも含めた多段変身など、それまでの仮面ライダーとは一線を画す要素が取り入れられており、後年のシリーズにおける諸設定の先駆けとなった。

また人物設定でも、主人公である南光太郎の性格が前作のラストを感じさせないほど明るめに描写されたり、前作とは対照的に主人公の周囲を敵味方共に数多くのサブキャラクターが取り巻いているなど、「家族でも楽しめる」という前提の元に作品作りが行われている。但し、前作から続けて担当した監督の小笠原猛がはじめてRXの撮影に参加する際、倉田に対して「今の明るいままのライダーじゃいけない」と語ったという逸話からも窺えるように、スタッフ内部でもこの路線変更に対して意見が分かれており、物語の進行につれて光太郎が心の傷を残していることも描写されていくようになった。この他、前作には無かった戦闘員の登場や、シャドームーンの再登場によるライバルキャラの復活劇、そして敵幹部間の軋轢等、過去の石ノ森ヒーローの集大成とも呼べる要素も多く盛り込まれる形となった。

白倉伸一郎プロデューサーが東映に入社するとき本作を批判したことでも有名である。

キャスティング・スタッフ
南光太郎役の倉田てつをは2006年のインタビューで「BLACKがかなり高い視聴率をとっていたこともあって、僕を主人公にもう1年と言う噂は聞いていた。実際に決まった際は、2年間主人公を続けた人はいないのは知っていたからとてもうれしかった」とコメントしている。倉田の他飯塚昭三、高橋利道といった敵側のレギュラー、前作の終盤からナレーションを担当した政宗一成も続投している。

マリバロン役の高畑淳子は、当時劇団青年座の活動だけでは食べていけなかったことから、中田譲治の紹介で東映作品に参加していた。この作品で見せた彼女の演技は演劇関係者にかなり評価されたらしく、後年青年座の重鎮となってからのインタビューで当時を回想し「(RX出演がきっかけで)私は役者として食べていけるようになった」と述べている。また霞のジョー役の小山力也は、後年海外テレビドラマ『ER緊急救命室』における声の演技で一躍注目を浴び、これを契機として声優業を主体とした芸能活動を行っている。

スタッフの顔ぶれは基本的に前作と同じであるが、メインライターには前作『BLACK』の杉村升に代わり、東映や大映テレビ制作の作品を中心に活動していた江連卓が新たに起用された。またキャラクターデザインとして当時メタルヒーローシリーズにも携わっていた雨宮慶太や野口竜が参加。主題歌は前作の倉田に代わり宮内タカユキが担当、また挿入歌にはこの2名に加えそれまでの本シリーズでも主題歌を多数手がけた水木一郎が参加している。

TVシリーズの中断
本作品の終了をもってテレビシリーズとしての仮面ライダーの制作は再度中断し、歴代仮面ライダーの歴史をリセットした作品である『仮面ライダークウガ』(2000年)まで約10年の休止期間に入った。平成ライダーシリーズの制作放送局はそれまでの毎日放送からテレビ朝日に移ったため、2009年現在映像上で見る限りでは、『仮面ライダー』第1話から続く物語における最終シリーズになっている。

なお、本作品の続編としての仮面ライダーの企画自体は存在し、同時期に『機動刑事ジバン』に出演していた小林良平が主役として起用される予定であったことが、小林本人へのインタビュー[2]で語られているが、最終的に実現には至らなかった。

後番組は地域によって異なり、制作局である毎日放送は『板東英二のスポーツパラダイス』(近畿広域圏向けのスポーツ情報番組)、TBSは『噂の!東京マガジン』と、それぞれ1時間枠の番組を放送。また九州エリアの6局(rkb+・大分放送・長崎放送・熊本放送・宮崎放送・南日本放送)は同時間枠に『窓をあけて九州』(九州電力一社提供番組・1981年~)とJR九州一社提供番組を放送している関係上、10:30からの放送となった。なお毎日放送制作の全国ネット枠は、『地球ZIG ZAG』がスタートした11時台前半に移行することとなった。

主人公と支援者
南 光太郎 / 仮面ライダーBLACK RX
前作より引き続き登場する主人公。ゴルゴムを滅ぼして日本に平和を取り戻した後、おじである佐原の元でヘリコプター操縦士として新しい生活を送り始めた。新たなる侵略者であるクライシス帝国の襲撃により敗れ、BLACKへの変身機能を破壊されてしまうが、キングストーンと太陽光線の力により新たなる姿・仮面ライダーBLACK RXへと変身する能力を得る。
新しい生活の中で本来の明るく陽気な性格を取り戻すものの、ゴルゴムとの戦い、特に兄弟同然の秋月信彦(=シャドームーン)との戦いで負った心の傷が決して浅くないことを覗かせたり、孤独をひどく恐れたりもする。しかし平和を守る強い決意と仲間達の支えの下、クライシス帝国と戦う。
白鳥 玲子(しらとり れいこ)
光太郎の仕事仲間である女流カメラマン。後に彼がRXであることを知り、自身も空手を会得して戦いに身を投じる。
霞のジョー
クライシスによって改造された地球人で、改造手術のために過去の記憶を一切失っている。霞流拳法の使い手で、釵を得意武器としている。当初は光太郎への刺客として差し向けられるが、後に洗脳が解けた後は仲間になり、光太郎を兄貴と慕い共に闘う。戦いの中で重傷を負い、一時的に戦線離脱を余儀なくされるが、終盤にて再度復帰を果たす。
的場 響子(まとば きょうこ)
後半より登場した女子中学生。両親をクライシスに殺され、仇を取るために超能力を使えるようになろうと志す。特訓に励んだ結果、遂に水を操る能力を身に付けてRXに協力する。またアーチェリーも得意としており、その腕前でRXの窮地を救ったこともある。

周囲の人々
佐原 俊吉(さはら しゅんきち)
佐原 唄子(さはら うたこ)
俊吉は光太郎の勤める航空会社社長で、光太郎の叔父にあたる。唄子はその夫人。一時期光太郎は彼らの家に居候していたこともあるが、かつての立花藤兵衛、谷源次郎らのようにライダーに協力して戦うことは無く、光太郎がRXであることも最後まで知らされなかった。
佐原 茂(さはら しげる)
佐原家の長男。宇宙飛行士になる夢を持っている。当初より度々クライシスの陰謀に巻き込まれることが多かったが、中盤にて光太郎がRXであることを知る。
佐原 ひとみ(さはら ひとみ)
茂の妹。ガロニア姫の替え玉としてクライシスに誘拐されたこともある。
吾郎(ごろう)
佐原航空の食堂で働くコック。光太郎に協力してクライシスに立ち向かう一面を見せることもあるが、散々な目に逢うことが多い。だが、ガイナニンポーが仮面ライダー1号に化けていることをいち早く察知するなど、するどい洞察力を持っているという一面もある。
速水 隼人(はやみず はやと)
序盤のレギュラー格である警部補。常人離れした能力を持つ光太郎を不審に思って追い回すが、そのためにクライシスの作戦に巻き込まれ、散々な目に遭うことが多かった。

クライシス帝国
クライシス皇帝
1000年前に怪魔界に現れ、クライシス帝国を築き上げた謎の支配者。全能の神として恐れられ、その姿を見た者はいなかったが、最終回では巨大な顔だけの怪物という正体を現す。身体中に生えた無数のトゲの間から触手を伸ばし相手を絡め取る他、目や口などから放つ強力な破壊光線を武器とする。
地球攻撃兵団
ジャーク将軍
クライシス地球攻撃兵団の最高司令官。失敗した者には罰を与えるという厳格な面もあるが、部下を庇うこともあるなど温情に篤く、また出身を選ばずに人選を行う公平さも持ち合わせる。リーダーとしての意識も高く、ゲドリアン亡き後無断でガデゾーンが単独でRXに一騎打ちを仕掛けたことに関しては、ルールを乱したとして厳罰をもってのぞんだ。このような性格から、RXも最終決戦に際して「邪悪な皇帝に仕えたのがお前の不幸だ」と一定の評価を与えている。
皇帝から杖を与えられており、この杖から出るビームで仮面ライダーBLACKの変身機能を破壊した他、このビームを部下への罰としても使用している。最終決戦に際しクライシス皇帝によって改造され、最強怪人「ジャークミドラ」としてRXに戦いを挑んだ。
官房長ロボット・チャックラム
ジャーク将軍に情報を提供する役目を担うロボット。常に空中に浮遊しており、地球侵略のためのデータがインプットされているが役に立ったところがあまり見られない。英語交じりのしゃべり方が特徴。
四大隊長
地球攻撃兵団において、実際に戦闘や作戦の実行に当たる4つの部隊の隊長。いずれ劣らぬ実力の持ち主揃いだが、功名心の強さからかお互いに味方同士とも思えぬ言動を繰り返すことが多く、そのために失敗に終わった作戦も少なくはない。
海兵隊長ボスガン
ナイトの称号を持つ四大隊長の1人。怪魔界一の剣の使い手で、「電磁波剣」などの技を駆使しRXと度々剣を交えた。ヘルメットのような頭部の額には小さな人面がある。非常にプライドが高く、ロボットであるガテゾーンや純粋なクライシス人ではないゲドリアンを見下し、内心ではジャーク将軍の失脚後の地位を狙っている。また騎士然とした立居振舞の一方、その性格は非常に狡猾で卑怯な手も平気で使う。
度重なるRXの作戦妨害に業を煮やし、ロボライダーの装甲をも切断する「怪魔稲妻剣」を作らせ自らRXに挑むも、結果的には霞のジョーを戦線離脱に追い込むのみに留まっており、怪魔稲妻剣もジャーク将軍に折られてしまった。
諜報参謀マリバロン
貴族出身の四大隊長の1人。異次元空間を何百年も漂流し、百数種類の妖魔力を身につけた女戦士で、変身能力も持っている。戦闘時にはその妖術のほか、兜の黄金の羽根とビーム鞭を操っての攻撃を得意とし、怒りが頂点に達すると目が赤く輝く。
反目しあうことの多い四大隊長の中にあって比較的ガテゾーンとは仲が良く、共同作戦を行なうことも多い。また帝国への忠誠心は厚く、その妖術と様々な策略で光太郎を苦しめた。終盤ではRXに片目を傷つけられアイパッチを着用することとなったものの、四大隊長の中では最後まで生き残った。
機甲隊長ガテゾーン
四大隊長の一人で、出自不明のロボット。モノアイの頭部と革ジャン姿が特徴で、頭部を分離させてボディのみを動かすこともできる。戦闘ではショットガンを使用するほか、愛用するバイク「ストームダガー」を駆り、部下の怪魔ロボットと共に戦うこともある。地位よりもRX打倒を優先する性格で、暴走してスクラップにしたスクライドを復活させたり、最後は、隊長の座を捨て、ダスマダーと組んで入手したクライシスチャージャーで強化された「ネオストームダガー」で勝負に臨んだ。
牙隊長ゲドリアン
四大隊長の1人。小柄な身体と身軽かつ素早い動きを活かした戦法を得意とする。怪魔界一暗くて寒いゲドラー域の出身であり、太陽の光にあふれる地球に住む人類を憎んでいる。このような出自から、自身を大隊長に取り立てたジャーク将軍に対して並々ならぬ恩義を抱いており、地位に対する執着は他の3人以上に強い。また自身と同じく生粋のクライシス人でないガテゾーンとも組むことが多かった。
その他
ユーロ ドラゴン セカンド ナビラッコ バリヤ サーチ天延 セスカーナ ユッカ 京いも パレス レオタガ オマーン フライト リポジ ピンク チャコール サドルシ ライト じゃじゃん シキミ エッジ カチュ クロロ 学園天国 ソワレ ダイレーザ ハンサム シート ニアピン ロハス ラナン ソコン かすかわ 星のフラ シューズ フーズ トレーサー ターピース ルカラー 天羽 シャープ パオトウ くずまき マミー スウェ フォトカ そけい メトニミ フランス スリーエム

ダスマダー大佐
遅々として進まない地球侵攻に痺れを切らしたクライシス皇帝が派遣した査察官。皇帝の威光を笠に着て居丈高に振る舞う上に、作戦の失敗は逐次皇帝に報告する為、ジャーク将軍や四大隊長との仲は険悪だが、彼の登場でジャーク将軍と四大隊長達の結束が強まった面もある。その一方で戦闘力を初めとした実力も高く、身軽な身のこなしと愛用のサーベルでRXに度々挑む。またRXの弱点がキングストーンであることを突き止めるなど、RXの弱点を把握することも怠らない。その正体はクライシス皇帝の分身であることが終盤になって明かされ、クライス要塞の内部での戦闘を経てクライシス皇帝としての真の姿を見せる。
ガロニア姫
クライシス皇帝の娘で、うなじに皇帝の娘の証であるホクロがある。また強力な念動力を使うことも出来る。クライシス帝国の次期皇位継承者として皇帝の細胞の1つから生み出され、養育係であるムーロン博士の指揮の元、クライス要塞内で特殊な成長促進光線を当てられて養育されていた。
誕生して3ヶ月で6歳まで成長していたが、あるチャップのミスによって光線発生装置が故障した影響で消滅してしまう。養育係であったマリバロンとムーロン博士は替え玉となる少女を探し出し、消滅した事実を隠蔽しようとしたが失敗に終わり、ジャーク将軍が皇帝に対しガロニア姫はRXによって暗殺されたと嘘の報告を行う結果となった。

2009年02月10日

墨俣川の戦い/倶利伽羅峠の戦い/水島の戦い

墨俣川の戦い(すのまたがわのたたかい)は、治承5年(1181年)4月25日、尾張・美濃国境付近の墨俣川(現長良川)において源行家軍と平氏軍との間で行われた戦闘である。治承・寿永の乱の一つに位置づけられる。

経過
平氏は前年の治承4年(1180年)10月の富士川の戦いで源頼朝軍に敗れたが、再度、頼朝軍を追討するため、治承5年(1181年)4月、平重衡を将とする軍を東国へ派遣した。それに対して、源行家の軍勢が墨俣川東岸に陣を敷き待ちかまえた。行家は鎌倉の頼朝と距離を置いた独自の勢力となることを企図しており、いわば鎌倉へ恩を売るために平氏軍を待ち受ける役割を負ったとされている。両軍は、墨俣川を挟んで対峙したが、行家軍は夜間の奇襲を企てて渡河した。しかし、平氏軍は濡れている兵士が敵であることに気付き、行家の奇襲はすぐに見破られ、行家軍は大敗した。この時、行家の軍に加わっていた源義円(頼朝の異母弟)、同重光(尾張源氏)、同頼元、同頼康(ともに大和源氏)といった源氏一門の諸将が戦死、行家の次男行頼が敵軍の捕虜となっている。

行家はその後、熱田に篭ったがそこも打ち破られて三河の矢作川まで撤退したが、平氏軍はさらに追撃した。しかし、東から源氏の大軍がくるという噂が流れたため、平氏はそれ以上進撃せずに撤退した。

合戦の結果は行家率いる源氏軍の大敗北であり、敗因としては行家と義円で先陣を争った指揮系統の乱れ、また源氏方が低湿地を背後にして戦ったため機敏な退却ができなかった事などが損害を多くした原因と考えられる。行家は矢作川を突破されたのち行方をくらませた。

平氏があくまで都を中心とした専守防衛体制を堅持した事により、平氏の西国支配、源氏の東国支配、奥州藤原氏の東北支配という勢力分布が一層明確なものとなった。

倶利伽羅峠の戦い(くりからとうげのたたかい、倶梨伽羅峠の戦い)、または、砺波山の戦い(となみやまのたたかい、礪波山の戦い)は、平安時代末期の寿永2年5月11日(1183年6月2日)に源義仲軍と平維盛率いる平家軍との間で戦われた合戦。治承・寿永の乱における戦いの一つ。

治承4年(1180年)、以仁王の平家追討の令旨に応じて信濃国で挙兵した源義仲は、翌治承5年(1181年)に平家方の城助職の大軍を横田河原の戦いで破り、その勢力を北陸道方面に大きく広げた。寿永2年(1183年)4月、平家は平維盛を総大将とする10万騎の大軍を北陸道へ差し向けた。平家軍は越前国の火打城の戦い(ひうちじょうのたたかい)で勝利し、義仲軍は越中国へ後退を余儀なくされる。だが、越中へ進出した平家軍が般若野の戦いで義仲四天王の今井兼平に敗れてしまう。

平家軍は一旦後退し、能登国志雄山に平通盛、平知度の3万余騎、加賀国と越中国の国境の砺波山に平維盛、平行盛、平忠度らの7万余騎の二手に分かれて陣を敷いた。5月11日、義仲は源行家、楯親忠の兵を志雄山へ向け牽制させ、義仲本隊は砺波山へ向かう。義仲は昼間はさしたる合戦もなく過ごして、平家軍の油断を誘い、ひそかに樋口兼光の一隊を平家軍の背後に回りこませた。

平家軍が寝静まった夜間に、義仲軍は突如大きな音を立てながら攻撃を仕掛けた。浮き足立った平家軍は退却しようとするが退路は樋口兼光に押さえられていた。大混乱に陥った平家軍7万余騎は唯一敵が攻め寄せてこない方向へと我先に逃れようとするが、そこは倶利伽羅峠の断崖だった。平家軍は、将兵が次々に谷底に転落して壊滅した。平家は、義仲追討軍10万の大半を失い、平維盛は命からがら京へ逃げ帰った。

『源平盛衰記』ではこの攻撃の際に義仲軍は数百頭の牛の角に松明をくくりつけて敵中に放ったと言われるが、この戦術が実際に使われたかどうかは疑わしい。角に松明をくくりつけられた牛がまっすぐ前方に走るとは考えにくく、おそらく中国戦国時代の斉の武将田単の火牛の計を参考に後世脚色されたものであると思われる。ちなみに田単が行った火牛の計は、牛の角に短剣をくくりつけ、尻尾に松明をつけたというものである。尻をあぶられた牛がまっすぐ前方に走っていくというのは、理屈として合っている。

この戦いに大勝した源義仲は京へ向けて進撃を開始し、同年7月に遂に念願の上洛を果たす。大軍を失った平家はもはや防戦のしようがなく、安徳天皇を伴って京から西国へ落ち延びた。

水島の戦い(みずしまのたたかい)は、寿永2年閏10月1日(1183年11月17日)、備中水島(今の倉敷市玉島地区)において源義仲軍と平氏軍との間で行われた戦闘である。平安時代末期における治承・寿永の乱の戦闘の一つである。
むろら バイラ プラズマ スプロー ディスト ラリー シリンダー ペツォ メイドカ 検索いふ スワン マンサク アーモンド オーバー カミソール セルフレ ワイウク 氷の世界 リット ジャムパン マンナ ロファ ターニュ トウチク ゴデチア ぽっぽ 幸せ ハードカレ キューム パイソオ セクレ リファンド お猿岩 鳳仙花 スタート マテハン めんか キャンベラ タメ口 ブリーフス シオン 最新検索 アフレコ モダンジ ストマイ ライン フローベ ウィザード ちとう ディエフ

当時、平氏軍の拠点は讃岐の屋島にあった。平氏を追討するため、寿永2年(1183年)9月20日に源義仲軍は都を出発して屋島方面へ進軍していったが、閏10月1日、四国へ渡海する前に、水島付近で平氏軍に敗れた。

平氏は、軍船同士をつなぎ合わせ、船上に板を渡すことにより、陣を構築した。源平両軍の船舶が接近し、互いに刀を鞘から抜いて、今にも白兵戦を始めようかという時、平氏の射手が源義仲軍へ矢を浴びせかけて戦闘が開始した。平氏軍は船によく装備された馬を同乗させており、その軍馬とともに海岸まで泳いで上陸した。最終的に平氏軍は勝利し、源義仲は京都へ敗走することとなった。この勝利により平氏軍は勢力を回復し、再入京を企て摂津福原まで戻り、一ノ谷の戦いを迎えることとなる。

なお、この戦いの最中に金環食が起こったことが資料によって確認されている。

2009年01月24日

ZONE OF THE ENDERS


ライバ デッサン シーソーゲ ニーメイ ピーツ ハンチョウ リチャー ムース ディー ガイドモフ サプライズ トドマ シャベル バスレーン ローラー きざらし ヤコブ 風雷坊 コムサ プラトン シッダー ワンマ ガスマス ユーコ タウン憂山 フィナス フラワー 月のうさぎ ボリー フィア プロジェク シャム プレー ロブノー フレア シャフト モニカ シエラ キチン リング ビーエス ローシルク リーク スペード イマン バスガド サーチ予言 フラスコ スカルプ ジョイント
『ZONE OF THE ENDERS』(ゾーン オブ エンダーズ)は、コナミコンピュータエンタテインメントジャパン(以下KCEJ)が開発・販売したプレイステーション2用ゲーム『ZONE OF THE ENDERS Z.O.E』及びその続編・外伝シリーズ。『Z.O.E』(ゾーイ)と略される。

オービタルフレームとよばれる巨大人型ロボットが活躍するSF作品の一つで、世界観を共有するアニメ媒体の作品も作られている。

2001年3月に発売された第1作『ZONE OF THE ENDERS Z.O.E』(以下 Z.O.E)は、オービタルフレームを操って侵略者と戦うアクションゲームである。分類は「ロボットアニメ・シミュレータ」を謳い、ストーリーシーンの監督に元アニメーターの西村誠芳を起用するなどロボットアニメ的な作品を意識して作られている。また、『メタルギアソリッド』シリーズを手がけた小島秀夫によるプロデュースということで注目を集め、初回版に『メタルギアソリッド2 サンズ・オブ・リバティー』の体験版が同梱された。

ゲーム発売前から同一世界観をもつアニメ作品の製作が決定し、ゲーム発売直前に特別番組が放映されるなど、メディアミックスによる宣伝も行われていた。

アニメは、OVA『Z.O.E 2167 IDOLO』(ゾーン オブ エンダーズ 2167 イドロ、以下 IDOLO)とTVアニメ『Z.O.E Dolores, i』(ゾーン オブ エンダーズ ドロレス・アイ、以下 Dolores, i)の2作品が作られた。どちらも製作はサンライズ及びバップによる。IDOLO はオービタルフレーム開発にまつわるプレストーリー的作品として、Z.O.Eと同時に発売された。

2001年4月より放送されたDolores, iはIDOLOの続編にあたる。主役がピンク色の女性型巨大ロボット、主人公は家族持ちの中年男性といった要素が情報誌などで注目された。前半は家族愛をテーマにコミカルな展開を見せ、そのテイストを失うことなくシリアスな後半に突入し、原作ゲームの設定も活かしたストーリー展開を取った。

2001年9月には、KCEJとサンライズの双方のスタッフが参加した外伝作品『Z.O.E 2173 TESTAMENT』(ゾーン オブ エンダーズ 2173 テスタメント)も発売された。

2003年2月に発売された前述作品の続編『ANUBIS ZONE OF THE ENDERS』(アヌビス ゾーン オブ エンダーズ、以下 ANUBIS)は、新たに開発された「Z.O.E シェード」とよばれる3DCG描画技術によるグラフィック、ゴンゾ・ディジメーションの制作によるアニメーション、アクションパートとストーリーパートをシームレスに繋いだ演出、より多彩な操作感覚などが盛り込まれた。また、株式会社アトラス所属の悪魔絵師こと金子一馬がゲストデザインとして参加している。ヒロインの掛け声が話題となり、後に発売されたスペシャルエディションのパッケージ裏の説明にその一言が触れられている。

イギリスのゲーム雑誌『PSM3 The PlayStation3 Magazine』 (Future Publishing) の「issue 80」(2006年9月28日)に、「Zone of the Enders 3 Close to the Enders」という見出しで「News just in ZOE is back on PS3」(ZOEがPS3に戻ってくる)という書き出しで、2007年に小島プロダクション製作で新作が作られる予定であるという記事が掲載された。

世界観
物語の舞台は22世紀の太陽系であり、地球人類は人口問題や環境問題の深刻化から宇宙に生活圏を拡げた。 地球周辺のラグランジュポイントにスペースコロニーが建設され、火星をテラフォーミングし植民地とした。さらに、資源確保のため木星圏にまで進出し、衛星エウロパのラグランジュポイント・L5 にコロニー・アンティリアを建設した。 だが、地球に住む人間の中には、火星以遠に住む者を「エンダー(田舎者の意)」と呼んで差別する者が少なくなかった。また、地球の半分以下の重力しかない火星で生まれ育った者は地球出身者に比べて筋力的に劣るという事実もあり、地球出身者は火星出身者を見下し、逆に火星出身者の中には半ばコンプレックスに基づく反地球的な気運が高まっていった。 そうした背景の中、未だ植民地に過ぎない火星では国連宇宙軍 (UNSF) が武力を背景とした監視活動や弾圧を行い、それに対抗して火星側のレジスタンス活動などが活発化。そして、反地球思想の強いバシリアカウンティは軍事組織バフラムを結成、一騎当千の新兵器オービタルフレームを開発して地球の物量に対抗しようとしていた。

ZONE OF THE ENDERS Z.O.E
ZONE OF THE ENDERS Z.O.E ジャンル ロボットアニメ・シミュレータ
対応機種 PlayStation2
開発元 コナミ
発売元 コナミ
人数 1人~2人
メディア DVD-ROM 1枚
発売日 2001年3月1日
・プレミアムパッケージ 2001年3月1日
・KONAMI The BEST 2003年2月13日
価格 6,090円(税込)
・プレミアムパッケージ 13,800円(税別)
・KONAMI The BEST オープン価格
表・話・編・歴

作品概要
2001年3月1日に発売された、プレイステーション2用ロボットアクションゲーム。木星の衛星軌道上に浮かぶコロニー・アンティリアを舞台に、偶然から新型オービタルフレーム・ジェフティに乗り込んでしまった主人公レオ・ステンバックとバフラムの戦いを描いた作品。ストーリーは前後編の前編に当たるが、それに関して発売まで何の告知も情報も無かったことで「未完作を黙って販売した」などの批判があった。

ゲーム進行については、前半はコロニー上空を飛行し、コロニーの各エリアへ任意に降下することができる。ストーリーの進行に応じて、指定されたエリアへ降下してミッションを攻略することが中心。コロニー上空を飛行中、SOSが発信されることもあり、これに応じるかどうかもプレイヤーに任される。また、コロニー内の構造物に攻撃を加えると警告を受けることがあり、これらの状況によって、バッドエンドになることもある。ゲーム後半は、進行が一本道となる。

登場人物
レオ・ステンバック(Leo Stenbuck)
声 - 下和田裕貴
主人公。14歳の内向的な少年で、同級生からはいじめを受けていた他、両親も離婚と言う状態にあった。バフラムによるアンティリア襲撃のさなか偶然ジェフティに乗り込んでしまったことから、そのフレームランナーとしてコロニー脱出を手伝うことになる。
もともと民間人の少年であり、OF操縦の経験も無かったが、戦いを通じて成長していき、バフラムのフレームランナー達と渡り合うほど急速な成長を見せる。戦いを通じて常に一緒だったADAに心引かれていく。
エイダ(ADA)
声 - 芳野美樹
ジェフティに搭載された独立型戦闘支援ユニット。人間同様の会話機能を持つが、冷静で論理的な思考を持つ。操縦技能が無く、感情に流されがちなレオに当初は厳しい評価を下していたが、レオの影響を受けて次第に変化していく。
セルヴィス・クライン(Celvice Klein)
声 - 堀江由衣
14歳。教会の孤児院でボランティアをする、献身的で心やさしい少女。しかし芯はしっかりしており、自らの危険を顧みずに孤児院の安否を確かめに行くなど、頑固で行動的な一面も持つ。
かつてアンティリア移住の際に起こった事故で両親を失い、天涯孤独の身となっている。
ヴァイオラ・ギュネー(Viola)
声 - 手塚ちはる
ノウマンの部下。オービタルフレーム・ネイトを駆りレオの前に立ちはだかる。常に戦いを求める苛烈な女戦士。
スラッシュ
声 - 鳥海浩輔
オービタルフレーム・テンペストのフレームランナー。当初はレオを子供扱いしていたが、後にその認識を改めるようになる。
アックス
声 - 大西健晴
オービタルフレーム・タイラントのフレームランナー。
ナイトレイド
声 - 押田浩幸
オービタルフレーム・ネビュラのフレームランナー。野卑な性格で、下品な口調で話す。
エレナ・ワインバーグ(Elena Weinberg)
声 - 夏樹リオ
輸送船アトランティス号の副長。理知的で心優しい女性。しかし任務のためには私情を捨てる強い精神力を持ち合わせている。ジェフティのランナーとなるはずだった人物、アランとは恋人同士だった。
ロック・サンダーハート(Rock Thunderheart)
声 - 梁田清之
アトランティス号のクルー。大柄な体格と厳つい顔立ち、不躾な口調だが面倒見は良いらしく、ジェフティのランナーとなったレオが子供である事に戸惑いながらもサポートする。アランとは親友だった。
ノウマン(Nohman)
声 - 江原正士
バフラム軍指揮官。物語当初はオービタルフレーム・セルキス(劇中には名称のみ登場)に搭乗するが、アヌビス奪取に成功後はアヌビスに乗り換える。その言動や行動には謎が多い。
アラン
ジェフティの正規ランナー。バフラム軍の襲撃により戦死している。